バッハって、どんなイメージがありますか?
なんだか“真面目で厳格”な人、という印象を持っている方も多いのではないでしょうか。
たとえば、バッハの「インベンション」(ピアノ独奏曲集)は、右手と左手が模倣し合いながら対位法的に絡み合い、複雑で奥深い音楽を作り出しています。
演奏する側にとっては、どこか小難しく感じられることもありますよね。
実際この曲集は、バッハ自身が序文で、
「作曲の予備知識を得るための、明瞭な方法を示す正しい手引き」
と書いているように、作曲や演奏技術を学ぶための教材として作られたものでした。
こうした“しっかりした”作品に触れるたび、私もずっと「真面目で厳格な人」なのだと思っていました。
でも最近、そのイメージが変わるような事実をいくつか知ったのです。
バッハは、即興演奏の名手としても当時から非常に高く評価されていました。
特にオルガンやチェンバロでの即興演奏は圧巻で、教会の演奏会などでは、2時間以上にも及ぶ即興演奏を披露し、聴衆を驚かせたという記録も残されています。
その場で生まれる音楽があまりにも素晴らしいため、弟子に即興を採譜させて作品として残すこともあったそうです。
バッハにとって即興演奏は、単なる「余興」ではなく、音楽活動の中核だったのかもしれません。
さらに、「フーガの技法」や「平均律クラヴィーア曲集」といった緻密な作品も、実は「即興の腕前」を示すために書かれたという説もあります。
“楽譜に忠実に”というイメージとは裏腹に、もとは即興の感覚から生まれていたというのは、ちょっと驚きですよね。
ベルリンの宮廷でバッハが即興を頼まれた際、その場で複雑なフーガを次々に奏でて周囲を圧倒したという伝説も伝えられています。
さらに興味深いのは、バッハがとても実践的で柔軟な音楽家だったということです。
たとえば、教会や宮廷での仕事では、
「この楽器が足りない」「この演奏者には難しすぎる」ということかまあります。
そんなとき、彼は迷わず曲を編曲し、状況に合わせて調整していたといいます。
また、過去の自作品を新しい曲に再利用したり、別の機会のために再構成したりと、いわば“音楽のリサイクル”にも長けていました。
カンタータのアリアが後にミサ曲で再登場したり、器楽曲が教会音楽として生まれ変わったりと、
バッハの音楽は“生きていた”のだと感じさせられます。
これは決して手抜きではなく、その場その場で、最良の音楽を届けようとする実践的な精神の表れだったのでしょう。
そして最後に――
バッハには、なんと20人の子どもがいました。
彼は2度の結婚をしており、最初の妻マリア・バルバラとの間に7人、2人目の妻アンナ・マグダレーナとの間に13人の子どもがいたと伝えられています。
そのうち数人は、後に有名な音楽家として活躍しました。
たとえば、次男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハや、長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハなどです。
子どもたちの音楽教育は、主に父バッハが家庭内で行っていたといわれています。
教会や宮廷での仕事の合間に、自宅で子どもたちに楽譜を教え、演奏を指導していた…。
そんな姿を想像すると、とても親しみと尊敬の念が湧いてきます。
私たちが「厳格な巨匠」と思っていたバッハは、
実は、即興の名手で、現場対応も得意で、そして20人の子どもを育てた家庭人でもありました。
知れば知るほど、“自由で人間味あふれるバッハ”の魅力に惹かれていきます。
これからは、バッハの音楽を少しだけ肩の力を抜いて、のびのびと味わってみたいな。
そんなふうに思っています。
|
コメント